言友会という名は数年前から知っていたけれど、
当時は何を思っていたか、"僕が関わり始めた所で社会に良い事はあるか"などと言い、自信が無い事を理由に"単なる行動力の無さ"を覆っていた。
さらに、仮に吃音という要素を無視したとしても、
"話が合わない可能性が高い気がする"などと切羽詰った事を言っていた。
これはどちらも、社会的役割の模索、話を合わせる必要性、といった結論を得る前の事だったと思う。 今はどちらも妥協点を見出し、自分なりの解決方法を用意できる。
そこで今一度、ツイッターを眺めていたら"言友会"という単語が見えた。
ある程度の意思を持って、 "宮城 言友会" とgoogle先生に尋ねた。
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行ってきました!
期待も疑いもせずに、身を投げる感じで・・・。 今回はどちらの先入観も役に立たないと思った。
やはり"数人が向かい合う場"は最も苦手なのかな、
イメトレを繰り返しつつ、(むしろそれが悪かったのか、)いざ自己紹介フェイズに入ると緊張して何も喋れなかった!
「すすんません言葉が出てこないんで・・・」
恐らく一般ピープルが見たら異様な光景だと思うけれど、本当になんというか、
"理解のある方々の前だから言える妥協方法"なのでした。
ただその後は多くの対話シーンを設けてもらい、割とよく話せたと思う。
話すだけでも有難いのだけれど、僕の切り出し方が下手なせいか、話がどーも小難しい方面へ行ってしまう。
なんというか、話題を転換できるようなスキルが欲しかった昼下がり。
いくら理解のある方々でも、もっと楽しい時間にできたと思うのに、正直申し訳なかったという気持ちで溢れるのでした・・・
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少々の愚痴
途中で教授さんが「なぜ学問に興味を持っているのか」を問うてくれて、批判を頂ける事があったのだけれど、
"既に理由を説明した事を繰り返し問い直す"といったような、まるで議論の気が無い返し方を頂いたと思う。
論点について 自分なりの答えを持った上で しっかり批判をしてくれるならいいのだけれど、
あの話し方は先生に疑問を感じざるを得なかった。
ただ内容については"悪魔の証明"に近いものを感じていたし、冷静に巻き返しさえすれば終わっていただけの状況だったとも思う。
端から結論を出そうとするべきではない流れと言ってしまってもいい気がする。
・・・という事があり、正直終わった直後は「この人が居るなら関わりたくないかな・・・」といった感情まで生まれかけていた気がする。とっても嫌でした。
実際は
手っ取り早く僕を試すための論法だったのか、
本気で僕の事を知りたいと言及してくれたのか、
一時的な気分の偏りがあったのか(情動の加担が強かったのか)、いくらでも要素は考えられるけれど、
どのみち
"あのグループ内でこういう言論を加速させる事は、誰も幸せにならない気がする"
と思いました。交流目的を履き違えてしまう。
こういう言論になるきっかけ、今回の場合は
"自分の価値観を直接的に表現する場合"になるのかな?これからはよく気を付けて回避したいと思います。
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今後
今回は[愚痴の事]くらいのものだったけれど、外出して活動する となると少なからず精神的負担が発生する気がして怖い。 が、"必要なチャレンジ"である気もする。
少なくとも"既にアルバイトなどに身を投じてる皆"と比べて、僕は行動力が貧弱だとか、精神的にも弱いだとか、そういう点は(吃音者の中でも)貧相なのかなって。うう・・・
出来るだけ継続的に顔を出していきたいと思います。
アア!"出来るだけ"って表現がもうなんかアレだ、いつもの甘え的緩和!
はぁ、もっとホワホワしたキャラクターになりたい。